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ヒツジの起原(めん羊)Sheep

ヒツジ ヒツジ(めん羊)

ヒツジ
 
 
現在のヒツジの起原と思われる野生めん羊は、旧石器時代にいて、野牛などとともに狩猟の対象とされていました。これを家畜化したと思われるものの、もっと古い遺骨は、西トルキスタンのアナウ(Anau)の遺跡にみられるアナウの泥炭羊(Peat sheep)です。
 
 
それは、B.C.約6,000年にあたる地層から、穀類や家畜牛の遺骨とともに発掘されています。したがって当時の定住的農耕民族であったウラルアルタイ人により家畜化されたのであろうとされています。
 
 
その場所はイラン高原、コーカサス、アルメニアなど西部アジアの高原地帯と考えられています。今でもこの地方には最古の家畜めん羊の形態をしたものが野生しています。
 
 
現在、家畜化される前の野生めん羊として、つぎの3つが考えられています。これらはいずれも羊亜科の羊属に含まれるものです。
 
 
⑴ムーフロン(Mouflon:Ovis musimon)
 
 
これはいまでもヨーロッパのサルジニアとコルシカの両島に野生しています。かつては南ヨーロッパ、地中海沿岸諸島、中央アジア、北アフリカに分布していました。
 
 
けわしい山岳地帯に群棲し、極めて敏速で、雄は根元のとくに太い彎曲した角をもち、雌は無角です。ともに尾は短い。
 
 
⑵アルカール(Arkal : Ovis arkal)
 
 
ムーフロンと密接な関係にある大形の野生めん羊ですが、他の野生めん羊と異なり、これだけは尾が長い。また比較的低地に群棲しています。
 
 
西部アジアからカスピ海にいたる草原地帯に分布していました。前述の泥炭羊はこれを家畜化したものとされています。
 
 
したがって最初に家畜化された野生めん羊ということになります。
 
 
⑶アルガリ(Argali : Ovis argali)
 
 
森のない岩山に棲む野生めん羊です。
 
 
北アジア、アルタイ山脈や北チベットの山岳地帯に分布しています。大型の野生めん羊で、大角を有し、尾は短い。
 
 
以上のうち西アジアの高原地帯で、最初に家畜化されたものは前述のごとくアルカールであったようです。尾部に脂肪を貯える脂尾羊(Ovis arkal platyura)はこれからでたものです。
 
 
また、尻部の両側に1つずつの瘤状の脂肪塊をもった脂臀羊(Ovis aries statopyga)というのがいますが、これはアルガリから発したものとされています。
 
 
アルカールより少しおくれて家畜化されたようですが、この両者はアジアにおける最初の家畜めん羊といえるでしょう。
 
 
ヨーロッパでのもっとも古い家畜めん羊は、B.C.5,000年ごろ、スイスの湖棲民族の遺跡から発見されています。これは小形で、尾は長くスイス泥炭羊(Peat seep:Ovis aries palustris)といわれ、そのもとは、ムーフロンではなくアルカールの系統とされています。
 
 
それは形態的にもムーフロンとは異なるし、また前述のアナウの遺跡のB.C. 6,000年ごろの地層からこれと同じような形態のめん羊が発掘されているからです。
 
 
その後、この泥炭羊は、ムーフロンからでた青銅羊(Ovis musimon brackyora)におされて衰微したようです。青銅羊はB.C. 3,000年ごろ、新石器時代の終わりから青銅器時代(B.C. 5,000~2,000年)にかけて現れ、アルプス以南やヨーロッパ東南部で家畜化されたといわれています。
 
 
元来、ヒツジは粗食に耐え飼料の少ない乾燥地でも生存しうるところから、食糧の乏しい移動性民族、たとえば遊牧の民には好都合な家畜でした。
 
 
牛や豚が定住性的農耕民族の家畜となったのと、対照的です。
 
 
初期は毛は粗く、また毎春換毛していたであろうから、羊毛はあまり用途の対象ではなかった。むしろ毛皮と羊肉とが第1の利用物であったのでしょう。
 
 
それに動物脂肪をえることも大切な用途であったことがうかがえる。羊毛が衣類に利用されだしたのは、かなり後になってからと思われます。
 
 
しかし、アジアからヨーロッパに拡がった脂尾羊や脂臀羊は、漸次良毛を産するようになり、めん羊ができるようになりました。
 
 
さらにこれにムーフロン系の土産羊が交配されて、めん羊を主目的とした現在のメリノーのようなものができたとされています。
 
 
アメリカ大陸、オーストラリア、アルゼンチン、ニュージーランドなどのめん羊は、いずれもヨーロッパから移入されたものです。
 
 

日本における歴史

 
 
本邦には野生めん羊はいなかった。したがって家畜としてのヒツジは輸入です。古く欽明天皇(6世紀)のときに羊毛で糸をつむぎ、毛織物をおらせたという記録があります。
 
 
推古天皇(544~628)と嵯峨天皇の時代に、朝鮮からヒツジが輸入されました。平清盛が高倉院にヒツジを献上したという記録もあります。
 
 
また文化年間(1804~1817)に徳川幕府が中国からヒツジを輸入し、巣鴨の薬園でこれを300頭にふやし、その毛で毛織物をおらせたということです。
 
 
安政年間に幕府は函館奉行の請いにより、同地にヒツジを飼わせました。これらは外国から毛織物が輸入された結果、羊毛の価値が認められた結果です。
 
 
明治維新以後、かなり本格的に奨励され、多くの輸入めん羊がみられました。しかしこれは飼育方式の拙劣、未経験、寄生虫などのため失敗しました。
 
 
また羊肉の販路ということにも問題がありました。昭和12年ころより政府はふたたびヒツジを奨励し、これは農家の副業的存在として、おおいに伸びました。
 
 
しかし近年は、農業経営の所得の支えとしてのヒツジの価値が疑問視され、化繊の発達にも押されて、漸次その頭数を減じつつあります。
 
 
ただし従来、むしろ水田地帯に多かったヒツジがその飼育場所を山間地帯に移動しつつあり、飼育方法も舎飼法から放牧法にかわらんとしています。
 
 
なお、1戸当たりの頭数も多頭化せんとしているので、新しい飼育地帯に新しい飼育方法により、漸次頭数の回復がみられるでしょう。
 
 

品種の分類法

 
 
めん羊はその起原とされている野生の動物が多いだけに、品種の数も多い。現在約200種があります。
 
 
用途により、毛用種、肉用種、毛肉兼用種、毛皮用種、乳用種などに分けられます。おなじ毛用種を、毛の太さの細粗により細毛種、粗毛種とに分けることがあります。
 
 
ふつうの毛用種は一般に細毛種であり、粗毛種は長い毛をもつ長毛種です。また尾の長短により長尾羊(Long tailed sheep)と短尾羊(Short tailed sheep)とに分けられることがあります。

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