大和軍鶏 Yamato Gunkei

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大和軍鶏(ヤマトグンケイ)とは



小型軍鶏の歴史は古く巷問いろ々言われていますが、享和年代(1801~1803)に「シャモの小なるもの」と言われた鶏が、広島港に入ったとの記録が残されているとのこと。


この「マレー・バンタム」と覚しき鶏の体型は《各部分の鼓脹著しく、嘴太く短く曲がり、頭部大きく額骨突出し眼光鋭く、冠は苺冠にして短小、頸太く長く肩威から、胸骨深く、羽毛極めて短く、脚発達し、足太く長い。》と記録され、現在の小型軍鶏の祖と思われます。


この「マレー・バンタム」は、外国通いの通辞(通事・通詞)が原名も分からぬ儘に持って来たので「ツウジ」と呼ばれて広島県、山口県等で多く飼育されるに至り、その地方の愛鶏家達により改良され「広島通事」「岩国」等と呼ばれており、現在も一部の愛鶏家により保存されているようです。


現在の「大和軍鶏」と呼ばれている小型軍鶏は「通事」が広島方面より東京に入り長い年月と人々の努力に依って改良されたもので、当時は「広島南京」とか「油南京」と呼ばれていました。


大和軍鶏の姿は大型の軍鶏よりも迫力に於いて勝り、犬で言えばブルドッグのようであり、木で言えば盆栽に例えることができます。


東京で多くが繁殖、改良され飼育者の数もかなり多かったが、第二次大戦中に人々が食料不足に苦しんでいる時「愛玩鶏を飼う等は非国民だ」等の風潮が生じ、又飼料等も都会では手に入りづらくなったり等の悪条件が重なり一時は都会での大和軍鶏の姿は途絶えていました。


しかし、当鶏の姿を愛する人々は多く終戦後、広島より「通事」を入手し復活させ、その後改良を続けその数も殖え、それにつれて、且つて大和軍鶏を飼育していた仲間が加わり理想の大和軍鶏を作出すべく協力仕合いました。


大和軍鶏の現状ですが、当鶏は近年体型が大きくなったと良く云われているようです。確かに昔の姿よりも一回りも大きくなっていることは事実です。


これは飼料の関係と理想の大和作出の為の交配が原因で、現在の銘鶏はこれらのおかげで作出された事を考えると昔の標準体重をそのまま当てはめる事に無理があるので、保存会等で検討されています。


なお、大和軍鶏は「大和シャモ」とは呼ばず、大シャモとは別の固定種として≪大和グンケイ≫と呼ばれています。


当大和軍鶏の内種は矮鶏に次ぐ豊富さであり、見る人の目を楽しませていますが、内種は「赤笹」「油」「黄笹」「白笹」「銀笹」「金笹」「猩々」「白」「黒」「浅黄」「鈴波」「碁石」「カピタン猩々」と13内種が現在見られています。


この中でも一番多く飼養されているのは「赤笹」「油」の二内種で、これは原種の羽色と言われ、昔より数多くの銘鶏が作出され、現在も他の内種と比べると群を抜いているようです。「黄笹」は赤笹種と略同じです。


大和軍鶏
大和軍鶏


(左)2017/06/18日生まれの我が家の大和軍鶏の雄です。親鳥は既に分譲先が決まっていたにも拘らず、無理言って種卵を分けて頂いて孵化した鳥です。とても快活で庭を走り回っています。


我が家に居る鳥たちは病気には無縁です。やはり健康に飼うポイントはストレスのない飼い方だと実感しております。

大和軍鶏
大和軍鶏



こちらが親鳥になります。↑ ↑  ↓ ↓は2017/06/18日生まれの直仔


大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影
大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影



大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影


大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影
大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影



大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影


大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影
大和軍鶏<赤笹> 2020/02/25日撮影


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キジと水鳥 仲田幸男
キジと水鳥 仲田幸男 昭和46年12月20日 ASIN: B000JA2ICE 泰文館 (1971)
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