黒毛和種(Japanese Black)

黒毛和種
黒毛和種



和牛には黒毛和種、褐毛和種、無角和種、日本短角種の4つの品種があります。


このうち頭数も一番多く、本邦での分布も広いものが黒毛和種です。ふつう黒毛和種のことを、単に和牛ということもあります。


和牛はわが国在来の牛です。昔は小さな晩熟な牛であったらしく、その様相を今に伝えているものが、見島牛です。見島は山口県萩市に属する日本海の一孤島で、ここの牛は日本古来の牛で、他からの血液がまぜられていない。


現在、天然記念物に指定され、本土その他、他所からの牛の交配は許されないことになっています。見島牛や往時の記録により推察すれば、昔の和牛は毛色は黒が多かったが、褐、斑、スダレ、白斑のあるものなど種々雑多であったらしい。


小格で、体高は雌で115~118cm、体は良く緊り、肢の管は細く、体型は前がちでした。中軀は良好だったが、後軀がとくに貧弱でした。


晩熟で、雄は明3才で初種付され、雄は4才から種付に供用されだし、5才になってようやく1年に80頭ぐらい種付をしました。もちろん人工授精ではありません。


明治時代に入り、牛肉の消費が増えるなど国内情勢が変わり、上述のような小格な和牛ではいけないとして、その改良が要求されてきました。


そこで政府は官民斯界の権威者を集めて、種牛改良調査会を設け、和牛の改良方針を諮問し、その答申に基づいて、明治33年(1900)より和牛改良のために外国種を輸入しました。


すなわち、兵庫県、鳥取県ではブラウン・スイスを、広島県ではショートホーンを、島根県ではデボンを輸入しました。輸入されたものは雄で、漫然とその土地の和牛雌に交配されました。


これら外国種の交配により、和牛の体格はいくぶん大きくなり、早熟性も加味され、また泌乳性も増しました。その反面、毛色はそれまで以上に雑ぱくなものとなり、毛質はあらくなりました。


皮膚は厚くなり、四肢の管は太くなり、蹄は不良となった。動作も鈍くなり結局は水田を主体とする本邦の農業に合わないものとなりました。


肥育した場合、体重は大きくはなりましたが、枝肉の歩留はかえって悪くなり、肉質ことに筋肉内への脂肪交雑はむしろ不良となりました。


その結果、外国種との交雑は、一時市場でもてはやされたが、すぐに不評となり、この雑種繁殖は明治42~43年(1909~1910)でやめられてしまいました。


そしてその後はその反動として、また、もとの純粋な和牛が推賞されるようになりました。


しかし昔の小格な和牛が、当時の時代の要求にあうはずはなく、そこで大正元年(1912)以来、つぎのような方針のもとに和牛改良が進められました。


すなわち小格ではあるが、幾多の美点をもっている従来の和牛を基として、これに上述の外国種との雑種牛の美点をも加味して改良を進めようという方針がとられるに至りました。


そしてその改良の過程にあるものを改良和種ということにしました。


その後、和牛はそれぞれの地方の農業経営によく合う家畜として発展さすべきであるという考えから、各府県別に具体的な改良目標が樹立されました。


すなわち、中国地方および九州の各県に、大正8年から10年(1919~1921)にかけて、和牛の改良目標であり、理想体型である標準体型が設立され、当時かなり雑ぱくであった和牛をこれに向かって整理し、形質のほぼ一定した1つの固定種を各県別に造ろうとしました。


ここにいたって改良和種というのはその内容をいくらかかえて、一定の目標に向かって改良しつつある和牛ということになりました。


大正9年(1920)鳥取県をはじめとして和牛の登録制度が作られ、なお、現存の牛を標準体型のものに近づけるための牛の選抜の基準として、審査標準も設定され、各県の固定種造成はいよいよ進展していきました。


このようにして10数年、全国の和牛は非常に似通ってきました。これはそれまでの標準体型および審査基準が各県間において内容的にそう大きく違うものでなかったので、寧ろ当然であったかも知れません。


少なくとも、その当時の登録制度の最終段階であった本登録牛では、相共通する体型資質をもつようになりました。


そこで政府においても和牛を本邦の農業経営によく適合した農用牛として発展普及さすためには登録事業も各県ではなく、一括して行うべきであるとして、昭和12年(1937)、中央登録団体として当時の社団法人中央畜産会を指定し、本登録だけを行わせました。


そしてその際の牛の審査は、かつて中国地方各県の研究会であった中国和牛研究会が研究し立案していた和牛審査標準を採用しました。


その後、各府県とも登録にこの審査標準を用いるようになり、ここに不完全ながら登録組織と審査標準とは一元化されました。


その後昭和19年(1944)にいたり、和牛は1つの固定種とみなして差し支えない程度にまで改良され斎一されたとして、その品種名を和種と命名されることとなりました。


ここに黒毛和種、褐毛和種、無角和種が生まれました。


したがって改良和種という名は自然消滅しました。鳥取県で初めて和牛の登録が実施されてから21年、政府が和牛改良の目的で外国種を導入してから44年にして、ついに1品種とみなされるようになりました。


その後多くの変遷がありましたが、登録事業は昭和23年(1948)以来、全国和牛登録協会が発足して、一元的にこれを行い現在に至っています。


最近、和牛は肉利用に重点をおいて改良が進められ、そのため審査標準の改正、その適用方法の改善などが実施されました。

黒毛和種の外観



毛色は黒という表現になっていますが、毛の先の方がやや褐色をおびている黒で、褐黒といった感じのものです。


体格は牛としては小型で、体高は雌125cm、雄137cm、体重は雌430kg、雄730kgを成牛の標準としています。体は緊実し、四肢強健です。


前軀、中軀は良いが後軀とくに腿の充実に乏しい。


角は根元が黒色で、先の方が水青色のものが喜ばれます。被毛の質は柔らかく、皮膚は弾力に富み、比較的薄い。蹄は黒く、その質は堅い。


被毛、角、蹄などを総称して和牛では資質といっています。


そしてこの改良に古来、力をいれてきましたが、それはこれらの資質がその牛を肥育した場合の肉質、とくに筋肉内への脂肪交雑(俗にこれをサシという)と相関性があるからです。


乳房の改良にも近年意が用いられたが、まだ斎一性ということでは十分といえません。肉用牛でも、子牛を十分に発育さすためには乳房の改良は重要です。

能力



動作は軽快であり、性質温順で調教容易です。使役はとくに水田耕作に適しています。しかし近年は役利用はあまり重要視されていません。


肉利用に重点がおかれて改良が進められています。肉質は、スキ焼肉としては、すでに世界第一の定評があるので、増体能力のいま一段の改良が望まれています。


現在、去勢牛の若令肥育において330日間の1日増体は良いもので0.80kg、中等のもので0.75kgです。その枝肉歩留は良いもので61~63%、中等のもので59~60%です。


資質の良好な末経産の雌牛を長期間肥育して、体重650kgぐらいにしたものでは、枝肉歩留65%程度です。このものの脂肪交雑は非常に細かい。


性成熟はふつうで、初種付月令は17~18か月、初産分娩月令は26~30か月です。妊娠期間はふつう284日とされています。


初産はこれより2日ぐらい短く、またこの妊娠期間は雌の胎児の場合より雄の胎児の場合の方が1日ぐらい長い。

分布



中国地方および九州各県を、子牛生産の主要地としています。ことに、鹿児島、兵庫、岡山、広島、宮崎、大分、長崎などに頭数が多い。


最近、東北地方、北海道にも導入が盛んです。ことに福島県の頭数は近年急増しました。


肥育牛生産の多いのは鹿児島、兵庫、滋賀、三重、京都、岐阜、愛知、群馬、茨木、長野などの諸県です。

キジと水鳥 仲田幸男 昭和46年12月20日 ASIN: B000JA2ICE 泰文館 (1971)
スポンサーリンク
336×280
スポンサーリンク
336×280