ニワトリ(鶏)(Fowl)

赤色野鶏
赤色野鶏



●動物分類学上の位置
  • 脊椎動物門(Vertebrata)
  • 鳥類綱(Aves)
  • 鶉鶏目(Gallinaceae)
  • 雉鶏科(Phasianidae)
  • 鶏属(Gallus)
  • 野鶏/Gallus gallus L.
  • Gallus lafayetti LESSON
  • Galus sonneratii TEMMINCK
  • Gallss varius SHAW
  • 家鶏(鶏)(Gallus gallus domesticuus BRISSON)


ニワトリの起源



ニワトリの起源は現在、インドや東南アジアに野生的に現存している野鶏(Jungle fowl、ヤブニワトリ)です。


これにはつぎの4種があります。


⑴赤色野鶏(Red jungle fowl:Gallus gallus L.またはGallus bankivaまたはGallus ferrugineus)


野鶏のうちではもっともふつうにみられるものです。そのため一時はすべてのニワトリはこれからでたとされていました。雌雄ともに外観は現在の褐色レグホーンに似ており、精悍な感じがします。


雄は橙赤色の細い頸羽を持ち、翼肩、鞍部、胸部は黒色です。


雌は赤褐色の羽毛をもち、それに黒毛の斑があります。脚はスレート色で常に雌雄一つがいで森林に棲み、6~7月ごろ地上に営巣して、黄白色の卵を8~12個産みます。


⑵セイロン野鶏(Ceylonese jungle fowl : G.lafayetti LESSON)


セイロン島だけにすむ野鶏です。羽色は大体赤色野鶏に似ていますが、雄の胸と下部は橙赤色で、咽喉部に紫色の斑紋があるのが特色です。


雌の副翼羽には黄斑があります。赤色野鶏ともっとも著しい相異点は、肉冠の色で、赤色野鶏はすべて赤色ですが、これは周囲だけ赤色で、中央部は黄色です。


卵は赤斑のある黄褐色で、産卵数は2~4個といわれています。また、鳴声が赤色野鶏と異なります。


⑶灰色野鶏(Gray jungle fowl : G.sonneratti TEMMINCK)


南西インドに野棲しています。雄の頸羽に太い3本の白線があります。雌の副翼羽は尖斑です。


鳴声は明らかに赤色野鶏とは違います。


⑷緑襟野鶏(Green jungle fowl : G.varius SHAW)


ジャワ、ロンボック島およびその付近の島々に野棲し、前記の3者とは明らかに形態が異なっています。


すなわち、前3者は尾羽が14枚で、肉冠には鋸歯状の切れ込みがあり、2個の肉垂れを持ちますが、本種は、尾羽は16枚で、肉冠には切れ込みがなく、丸型をして肉垂も1個だけです。


肉冠の色は、緑と赤紫で、肉垂は赤、黄、青、緑色をしているので、緑襟(ミドリエリ)の名があります。また、雄の羽毛は、大体黒ですが、全体として緑が目立つので、Green jungle fowlといわれています。




現在のニワトリ(家鶏)が赤色野鶏だけから生じたとする一元説に対し、上記4種のうち2種以上の祖先型があると考える多元説があります。


一元説は、CHARLES DARWIN(1868)以来の古い説で、その根拠としてはつぎのようなものがあげられています。


(a)ニワトリ(家鶏)と野鶏と交雑する場合は、赤色野鶏との交雑がもっとも容易です。しかもできたものは常に繁殖力をもちますが、他の野鶏との雑種では繁殖力をもたないものを生ずる場合も多い。


(b)ニワトリ(家鶏)のなかには形態的にも、色彩的にも赤色野鶏に類似するものが多い。


(c)灰色野鶏およびそれとニワトリ(家鶏)との雑種の鳴声は、ニワトリの鳴声とは異なっている。


(d)各種のニワトリ(家鶏)の間で交雑試験をしてみると、その中には、赤色野鶏によく似たものができることがあります。これは、祖先型の再現でしょう。(DARWIN)


これに対し、(a)の雑種の繁殖力に対しては、ニワトリ(家鶏)と緑襟野鶏との雑種では明らかに異状が認められていますが、他の3種の野鶏とニワトリ(家鶏)との間の雑種については、まだその繁殖力をみるだけの試験が十分行われていないので、全く推測に過ぎないと反駁されています。


また、(d)の祖先型の再現についても、遺伝子の組み合わせは複雑ですから、再現といっても、それは単に補足因子の相互作用によるものである場合が多いことが分かっているので、あまり重要視されていません。


なお、(b)、の形態の類似や(c)の鳴声の相異などをもって、果たして一元説を証明する根拠になるかどうかについても疑問が持たれています。


結局、以上の理由で、一元説は否定された形になっていますが、といって多元説についてははっきりとした根拠があるわけではありません。


その上、多元説にはさらに次の2つの見解があります。


(1)すべてのニワトリ(家鶏)は、実在の4種の野鶏の2種またはそれ以上から成立ったとするもの。


(2)白色レグホーンのような地中海沿岸地方原産のニワトリは、上記(1)の考えで良いでしょうが、重種といわれるアジア系のニワトリは、それだけでは不十分で、すでに消滅したある未知の野鶏がおり、それから発したと思わざるをえないとするもの。


この(2)の考え方の生じた理由は、現在のニワトリの2大系統である地中海沿岸原産の西洋種(Mediterranean breeds)とアジア原産の東洋種(Asiatic breeds)との間にみられる差異からきています。


ブラマ、コーチンなどの東洋種は大型で鈍重であり、尾羽がたれて翼は短く、ほとんど飛べません。


これらの点では、西洋種と明らかに異なっています。卵色についても東洋種は褐色か、これに近い有色卵を産みますが、西洋種は白色卵を産みます。


また骨骼上にも若干、異なった点のあることが知られており、このような東洋種の特色は、赤色野鶏、セイロン野鶏、灰色野鶏にはみられないし、どう考えてもこれらから由来したとは考えられないという考え方です。


また、両種の間には形態上、性質上の相異のほかに、生理的にも差異があるとされています。すなわち、東洋種を白色レグホーンと比べると、就巣性をもつこと、ビタミンB1欠乏に対する抵抗力が強いこと、マンガンの異状要求を様子に現すことが少ないこと、抗熱性が強いこと、ヒナ白痢菌に対する抵抗性が強いこと、蛔虫に対して感受性が高いことなどです。


これらのうち就巣性については、産卵との関連において人為淘汰の結果生じた差異かも知れませんが、その他の差異はそうとも考えられないので、おそらく異なった祖先に由来することを示すものだろうという考え方です。


しかしこの考え方にも問題はあります。


たとえば単一の祖先からでたいくつかの地方的な品種が、異なった環境におかれたためにうけた自然淘汰の結果、著しい形態上の差異を示すと考えることもできるからです。


結局、現在では完全な、はっきりとした説はなく、恐らく分布の広い赤色野鶏がニワトリ(家鶏)の祖先の主流でしょうが、その他の野鶏も、どこかでニワトリ(家鶏)の成立に関係しているであろうと解するのが妥当のようです。


この点は、今後野鶏相互の交雑、各野鶏とニワトリ(家鶏)との組織的な交雑試験などを行い、解剖学的に、或いは血清学的に、最近のあらゆる研究方法を使って検討し、現在のニワトリの各品種の由来を、もっとはっきりと解明したうえでないと論じえないことでしょう。


野鶏が家畜化された場所は、現在それがインドからマレーシア、ジャワ、東インド諸島に棲んでいますから、恐らくこの付近であると考えられます。


そのうち、特にインド、ジャワ、マレーシアがその発祥地と考えられており、さらにインドがもっとも古いとされています。その年代は、B.C.2000年頃となっています。


中国でも、B.C.1400年にはすでにニワトリが飼われていたようです。

日本における歴史



本邦の先住民族がニワトリをもっていたかどうかは判然としていません。然し、本邦には野鶏はいないし、石器時代にもニワトリの遺跡が認められていません。


大和民族になってからは、早くからニワトリをもっていましたが、これは恐らく中国、韓国からの移入民族とともに伝えられたものと思われます。


神代の神話にニワトリが表れていることから推測しても、その起源はかなり古いようです。もっともその当時は卵、肉の利用よりも、時を知るため、或いは愛玩用、その他闘鶏などの娯楽用であったようです。


ニワトリが韓国から多く入ったことは、韓国との交通の多かった出雲地方に鶏禁忌の旧習の存することや古事記にあるニワトリをうらんだ歌に、韓国と縁の深い越前、越後のことがでてくることなどから推察されています。


仏教の伝来後、その影響があって、ニワトリ飼育は一時衰えたらしく、半面、鳴声や容姿を競う式典のようなことが盛んにおこなわれるようになり、良鶏が法外な値を付けられたりしたので、禁令まで出されたことがあります。


天武天皇のとき大倭国がザクロのような冠のニワトリを貢したといわれ、その後、遣唐使が【小国】なる品種を持ち帰ったという記録があります。


平清盛のころに矮鶏の輸入があったといわれています。源平盛衰記に藤原信隆が白鶏1000羽を飼ったという記があります。足利時代の医師道仙が明国から帰り、人間の栄養上、卵、肉の必要を説き、養鶏を奨励しました。


豊臣秀吉の朝鮮征伐により、韓国からニワトリが持ち帰えられましたが、土佐の山内氏の持ち帰ったものが、現在の土佐の長尾鶏の祖と言われています。


徳川時代に入り、ニワトリ飼育がとくに盛んになりました。これにはヨーロッパ鶏種の輸入もあずかって力があったらしいのです。また、平和が続いたせいかこのころに多くの立派な愛玩用種が作出されています。


卵、肉の栄養的価値が次第に問題視されるようになり、とくに都市ではその消費が増えました。慶長年間にシャモが南蛮人により長崎に輸入され、寛永年間にオランダ人により【ポーランド】種が入りました。


享保年間には南京シャモ(一説には南京チャボ)が唐人船により入りました。黒色ミノルカは、安政または文化のころに入りました。


バフ・コーチンはオランダ船またはイギリス船で輸入され、とくにイギリス船によったものを【エーコク】といいました。その他多くの鶏種が輸入されましたが、本邦で作出されたものもあります。


土佐の長尾鶏とか矮鶏はその最たるものです。


明治時代に入っても新種の輸入はさかんで、一時は実用鶏よりは、むしろ観賞用や品評会用といわれる様相をさえ呈しました。しかし、卵、肉の需要もとみに増し漸次実用鶏に主眼がおかれるようになりました。


養鶏が産業的形態をととのえはじめたのは、昭和の初めの頃からです。明治時代は愛知県などをはじめとして各地で農家の副業的形態で行われていました。


それが国民生活の向上により卵、肉の需要が急に増し、大正時代には多量の中国卵の輸入、昭和2年以来政府は、鶏卵の国内自給を目標に養鶏の本格的奨励を行いました。


その効があって、昭和の初めになり、羽数も急増し産卵数はさらに急増しました。したがって、輸入卵を完全に駆逐しうるまでに至り、逆に国外に輸出しうるまでになりました。


その反面、主な飼料であるトウモロコシは海外から輸入していました。したがって、第二次大戦の影響は大きかった。しかし、現在では完全に立ち直り、飼養管理方面にもケージ養鶏などの大きな改革がみられ、一大産業として発展しつつあります。


また肉用鶏としてもブロイラー産業として発展が期待されています。(近年は動物福祉に鑑みケージ養鶏を廃止する動きが加速している)

品種の分類法



用途により卵用種、兼用種(卵と肉)、肉用種、愛玩用種などの区別があります。


また、産地により地中海沿岸種(西洋種)と東洋種のあることは前に述べました。また、愛玩用種と実用種とに分けることもあります。


なお、ニワトリには多くの系統が育種されており、そのおのおのに育種家、育種した農場、会社の名を冠して宣伝されています。ハイライン、エームス・イン・クロス、キンバーなどの名があります。

キジと水鳥 仲田幸男 昭和46年12月20日 ASIN: B000JA2ICE 泰文館 (1971)
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